平井照敏「大きな手おりきて夏の杉林」
平井照敏 1931〈昭6〉3.31~2003 〈平15〉9.13)の自信作5句は以下通り。
大きな手おりきて夏の杉林 「槇」平成元年8月号
台風の沖を過ぎゆくひろしま忌 〃 年9月号
壁の中より現れてゆりの花 「槇」〃 2年7月号
森のごときをんながねむる夏電車 〃 〃
くちなしの硼酸水のごときかな 〃 〃
一句鑑賞者は小河信國。その一文の中ほどから「杉林は元来、静けさにみちているが、殊に夏の杉林となると、これは静謐そのもの。大きな手がしずかに降りてくる舞台として恰好である。この句に感得される静けさは、しかし、いつの間にか《大きな手》に呼応する杉林の天への志向、垂直をめざす静謐といったものになりおおせている。下降運動はいつしか上昇運動に反転していて、そこに件の《て(・)》の微妙なたゆたい(・・・・)が働いている」と記されている。
さらに白秋の短歌「大きな手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも」(『雲母集』)を引用しながら、鑑賞は次のように展開されている。「白秋の《大いなる手》には原始的生命力の如きものが感じられるのに対し、照敏の≪大きな手≫には、現代人の魂の渇仰、絶対的静謐といったものを感じる。かく言えばとて、両者になんらかのアナロジーを見ようとするのではない。ただ、近代詩の危機と停滞の中で本能的に『桐の花』一巻を掴み取り、多産豊穣の詩の海を泳ぎ抜きついに、いのち(・・・)の静謐を体現する短歌に到達した白秋を思うとき現代詩から、やはり定型詩たる俳句へ進み入った作者の歩みは、なかなかに興味深いことであったと考えるのである」。
平井照敏(ひらい・しょうびん)は、フランスの詩人イブ・ボンヌフォアの研究者であり、詩人であったが、60年代から短詩形に関心を抱き、青山女子短期大学の同僚であった加藤楸邨に師事し、「寒雷」に投句、のちに「寒雷」編集長を務めたが、74年「槇」を創刊主宰した。句集に『猫町』『天上大風』ほか。評論集に『沈黙の塔』など。