鈴木鷹夫(1928〈昭3〉9.13~2013 〈平25〉4.10)の自信作5句は以下通り。
こころの火落して眠る初昔 「俳句」平成元年3月号
一斉に鴨帰る日の鴉かな 「門」 〃 6月号
露の世と言ひし男のすぐに酔ふ 「門」平成2年1月号
人日やふところの手が腹を掻く 「俳句」 〃 3月号
また一つ日傘が消ゆる裏千家 「朝日新聞」平成2年7月13日
一句鑑賞者は脇祥一。その一文には「掲句の状況としては色々考えられるであろう。七草粥を食べ終わったあとの、所在なさに、ふところの手が思わず腹をポリポリと掻いていたというのかも知れない。あるいは戸外に散歩に出たところを見てもいい。正月のめでたさも松の内だけで、明ければ実際人は生業にもどらなければならない。その分かれ目の日が七日というところでろうか。七草粥を食べ、無病息災を願うというめでたい日においては、やや行儀の悪い、ものうい、この所作が、うまく『人日』と反映し合って、ある味わいを出しているところに、俳諧の妙味があるのであろう。『人日』という季語を得て、腹を引っ掻くという当り前の所作が当り前でなくなったのである。『七日はや』と『人日』と比べてみるがいい。この『人日や』は動かないであろうし、絶妙とも思われるのである」とある。
鈴木鷹夫は最晩年、諧謔味の横溢した句集『カチカチ山』を上梓したのち、しばらくして身罷ったのだが、「門」創刊時にはさすがにその気力をまっすぐに詠み、〈「門」創刊を祝す〉と前書きして「白刃の中ゆく涼気一誌持つ」の句を残している。加藤郁乎も其角が好きだったが、鈴木鷹夫もそうだった。小説に『風騒の人―若き日の宝井其角』がある。
鷹夫が亡くなる前年「門」は25周年を迎え、その折は、〈無季〉と前書きしてまで「『門』二十五周年草臥れて幸せで」と詠んでいるほどだから、自足の一生というべきであろう。その「門」は現在、夫人の鈴木節子が継承して新道を歩みつつある。