2015年2月6日金曜日

続・17、攝津幸彦「日輪もスープもさびし青あらし」



攝津幸彦「日輪もスープもさびし青あらし」

                                    
攝津幸彦 1947〈昭22〉1.28~1996 〈平8.10.13)の自信作5句は以下通り。


立ち上がり皇国(すめら)乙女となりしかな  「俳句研究」平成2年3月号 
厠出て小さきをみな青葉せり          「俳句」平成2年5月号  
傘さして馬酔木見し人隠さるる           〃     〃  
日輪もスープもさびし青あらし          「豈」No.13 ‘90春号 
簾して仔牛の肉を叱りたり             〃    〃  

一句鑑賞者は仙田洋子。その鑑賞文の中ほどにから終わりにかけて「『太陽もスープもさびし青あらし』ではない。『日輪』という間接的な表現で、太陽の輝きは知らないうちに抑えられている。スープを飲む。混沌としたポタージュ、澄んだコンソメ、どちらにしても確かな実体はない。日輪とスープ皿、二つの円に気づいた意識の中で、天地は親しく融け合い始める。そしてただ吹きすぎていく青あらし。一句が呼び醒ますのは、空虚さえ感じさせる茫漠とした意識の空間だ。何故このような空間が生まれたのか、それぞれ読み解くほかはない。この空間は、それ以上何も語ろうとしない。/私は掲出句を非常に現代的な現代俳句と読む。繁栄に浮かれ平和に押し流される。不自由はないが本当に欲しいものもない。おだてられているだけの胸の内に漠然と感じる虚しさ。似ているではないか、たかがスープ皿片手の漠然とした嘆きに。単なる感傷と混同されそうな無力な呟きに」とある。ここには、当時、すでに四半世紀、約25年前のことになるが、仙田洋子が読み解いてみせた現代の社会の在り様が今なお留められている。攝津幸彦が当時、まだほとんど無名だった時代、そして攝津幸彦が時代の波を全身に浴びながら、空手を差し上げて俳句表現の新しい何かを探し求めていた頃の句である。

 現在は、攝津幸彦は夭折とその後に、すっかり人気俳人の一人になってしまった感さえあるが、ようやく彼がつかみ取ろうとしていた感受が普遍化されはじめてきたということなのかもしれない。そういえば、宇多喜代子がいつだったか、「攝津幸彦が生きている間にもう少し攝津のことを語ってあげればよかったのにね・・」と少し怒るような調子で言っていたことを思い出す。幸彦の母・攝津よしこは角川賞受賞俳人にして、宇多喜代子と同じく桂信子「草苑」同人であった。